WBCSDが進める「価値の再定義」 ~SDGsを見据えて~

 

損保ジャパン日本興亜 CSR室 シニア アドバイザー

明治大学経営学部特任准教授

関 正雄

 

 2017年10月、メキシコで開催されたWBCSD(持続可能な発展のための世界経済人会議)の年次会議に参加した。

 

 WBCSDはリオ地球サミットに触発され1995年に創設された産業組織で、これまで持続可能な発展に関する企業イニシアチブの草分けとしてリーダーシップを取り続けてきた。例えば、今や世界中に普及した環境マネジメントISO14001の策定を提言したのもWBCSDだ。昨今「誰も取り残さない」を理念とするSDGsとの関係でよく使われるようになった「インクルーシブ・ビジネス」という概念も、2005年にWBCSDが生み出したものである。気候変動COPの交渉プロセスにも産業界を代表する組織として積極的に関与し続け、パリ協定採択を後押しした産業界の大同団結ネットワークWe Mean Businessの中心ともなった団体だ。

 

 そのWBCSDが今、力を入れているのが、価値の再定義(Redefining Value)というプロジェクトである。WBCSDはエネルギー、都市、モビリティ、農業などさまざまなテーマで政策提言を続けているが、価値の再定義は横断的にすべての活動を結びつける、要となるプロジェクトだ。企業が生み出す本当の価値は何か、それを可視化して投資家をはじめステークホルダーの理解促進をめざす、長期的視点に立った野心的なプロジェクトだ。その手始めとして、Natural Capital Coalitionをリードして2016年に自然資本プロトコルを策定・発表した。社会資本プロトコルも第1版を2017年に発表している。

 

 こういう概念的・抽象的でまだ最終形の見えないものを作りだそうとチャレンジすることについて、概して日本企業は消極的である。日々の業務に直結する具体的なガイドラインやマニュアルには関心が強いが、あまり「実務的ではない」議論は敬遠しがちだ。企業に限らず、日本人の特性と言えるかもしれない。しかし、今後大きく企業観を、そして投資の世界を変える可能性を秘めた重要な議論だ。

 

 損保ジャパン日本興亜は創設時からのWBCSD会員企業で、この価値の再定義も重要視してボードメンバーとして参加している。メキシコ会議でのボードミーティングにも出席した。会議では、参加企業メンバーが、将来の情報開示や投資家との対話の在り方、人材育成、CEOやCFOを巻き込んだプロジェクト運営などについて活発に意見が出され、熱い議論が展開された。

 

 こうした企業の生み出す本当の価値や将来の情報開示の在り方などを、研究者やコンサルタントなどの専門家、あるいは規制当局や投資家・NGOなどの関係者ではなく、企業自身があるべき論として熱く語っている風景というのは、あまり他では見かけない。逆に言えば、常に一歩も二歩も先を行き、時代をリードしてきたWBCSDらしい活動であると思う。

 

 もっとも、価値の再定義では、将来を見据えたあるべき論だけではなく、もっと足元の情報開示の問題にも取り組んでいる。それは4年前から始めたReporting Matters という年次報告で、2017版の報告書も大会期間中に発表された(WBCSDのウェブサイトから入手可能)。これはすべての会員企業のサステナビリティレポートや統合報告書を読み込んで、全体傾向を分析し課題を提起するものだ。例えば、今年の調査結果によれば、SDGsに言及している企業は79%、しかしWBCSD会員企業といえども戦略との真の一体化ができている企業は6%に過ぎないなどの分析がなされている。会員企業には専門家が分析した評価結果が個別にフィードバックされ、レポートの改善に役立てることができるので、会員にとっては実用的でありがたいサービスだ。しかし、これも元々は価値の再定義の一環として、WBCSDが考える理想の情報開示にどうやって近づけていくか、いかにして意味のある(meaningfulな)情報開示をしていくか、という問題意識から企画された仕組みである。

 

 今年の年次会議には多くの会員企業CEOも含め史上最多となる600人が参加した。そして、ユニリーバCEO、ポール・ポールマン氏が4年間務めたWBCSD会長の座を、この会議をもって退いた。会長の任期は通常2年だが、ポールマン氏は、余人をもって代えがたいリーダーであるとの理由で2期務めてきた。離任挨拶では、いつものように予定時間を大幅に超過して熱く語っていた。

 

 ポールマン氏がよく使う言葉はpurpose(目的)である。我々は何のために、誰のためにビジネスを行っているのか?根源的な問いかけだ。離任挨拶でも”Let’s go with purpose.”とこの言葉を使って締めくくった。人類はわずかこの50年で、それ以前50億年分以上のダメージを地球に与えてしまったという。企業トップは居心地良いコンフォートゾーンを脱して、苦しくても現状打破のために戦わなければならない。彼自身、その戦いにおいていつもWBCSDが支えとなってくれたと述懐していた。

 

 トランプ政権のパリ協定離脱に多くの米国企業が猛反対したこと、ポールマン氏のようにSDGsにコミットする企業経営者が増え続けていること、などを見ていると、むしろ政治や経済など世の中の仕組みの方が企業の行動変化に追い付いていないのが今の現状ではないかと思える。例えば法律も企業会計制度も、ルールや規制が変わるのにはとても長い時間がかかる。じっとその改定を待っているだけの企業は、時代の大きな変化から取り残されてしまう、と考えるべきだろう。

 

 ちなみに国内に話題を移すと、2017年11月に経団連は企業行動憲章の7年ぶりの改定を発表した。改定の一番の理由は、SDGsを取り入れることである。そしてビジネスと人権に関する条文も新設した。SDGsに関しては、企業の持つ創造性とイノベーション力を発揮し、Society5.0の実現を通じて持続可能で包摂的な経済成長に貢献する、という考えを明確に打ち出している。筆者はこの改定タスクフォースの座長を務めたが、よい議論ができたと思っている。大幅に改定された企業行動憲章と実行の手引きを読んでいただければわかるが、「倫理憲章」の域をはるかに超えて、憲章は持続可能な社会の実現を企業がけん引することをうたっている。この先、日本企業の時代を先取りした積極果敢な行動のよりどころとして、新しい憲章と手引きが大いに役立ってくれることを願っている。