EU・オムニバスパッケージが日本企業に及ぼす影響

-その(1)-

 

(本稿はその(1)~(4)から構成されており、その(2)以降は後日公開します) 

 

上智大学 名誉教授 

上妻 義直

 

 

Ⅰ はじめに

 

 サステナビリティ関連業界で大きな噂になっていたEU・オムニバスパッケージが、欧州委員会のスケジュール通り、2025年2月26日に公表された。オムニバスパッケージとは、EU法制における一連の関連法令を一括改正する法律案であり、今回のパッケージには、サステナビリティ報告関連法令の改正案であるオムニバスIと、欧州投資プログラム(InvestEu)関連法令の改正案であるオムニバスIIが含まれている。

 

 オムニバスIは、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)、企業サステナビリティ・デューディリジェンス指令(CSDDD)、EUタクソノミー規則(EUT)、炭素国境調整メカニズム(CBAM) の各改正案から構成されており、本稿では、その中でもとくに企業サステナビリティ報告の基幹法令であるCSRDを取り上げて、その改正が日本企業のサステナビリティ報告や保証業務に与える影響について考察する。

 

 

II  オムニバスパッケージ公表の背景

 

 オムニバスIの目的は、制度的なサステナビリティ報告枠組みの大幅なスリム化・合理化にあり、それによってEU企業の開示負担を軽減し、イノベーションを促して、EU経済の国際競争力を向上させることにある。

 

 EUでは、この20年ほど産業の生産性向上が進まず、米中との経済競争で後塵を拝してきた(EC, 2025a)。たとえば、2019年第4四半期から2024年第2四半期までの間、EUの労働生産性は0.9%しか上昇しなかったのに反して、アメリカでの上昇率は6.9%に及んだ(ECB, 2024)。また、中国との競争が激化する自動車分野では、近年、EU市場への中国車輸入量が急増し、中国製電気自動車(BEV)のシェアは、この5年間で2.9%(2020年)から21.7%(2024年)へと上昇した(ACEA, 2024)。しかし、フランス車プジョーの中国における市場シェアは2014年の2.37%から2022年には0.28%にまで激減し、ドイツ車の場合も同じ5年間で中国シェアを24%(2020年)から15%(2024年)に落とした(Burgier, 2025)。

 

 2024年2月、経済不振でも気候ニュートラル化に巨額投資が必要なEU産業界は、アントワープ宣言の名の下に、欧州委員会・加盟国政府・欧州議会に対して包括的産業政策(European Industrial Deal)の策定を求め、産業界を支援するように訴えた1。同宣言では、今後5年間、この産業政策を政策アジェンダの中核に据え、さらには、その第一歩として、企業関連法令を修正するオムニバス法案の策定を要請した2

 

 2024年には、EU経済の将来的な方向性について、2人のイタリア政治家が政策提言を行っている。レッタ報告(2024年4月)とドラギ報告(2024年9月)である。前者は、低成長経済からの脱却に向けて、単一市場の抜本的な構造改革を進めるべきであると説き(Letta, 2024)、後者は、生産性低迷の原因を先端技術分野(とくにデジタル技術分野)におけるイノベーションの欠如にあると指摘した。さらに、EU企業の競争力を削ぐ構造的要因の一つとして、過剰な法規制の存在と規制対応コストの大きさを挙げ、その典型的な事例がCSRDとCSDDDであると断罪した(Draghi, et al., 2024)。

 

 こうした状況の中、加盟国首脳は2024年6月末に欧州理事会を開催し、2024年からの5年間に実施すべきEU政策を提示する戦略アジェンダを採択した。戦略アジェンダには法規制による企業負担の意欲的な削減方針が盛り込まれた(Council, 2024a)。また、同年11月の欧州理事会ではブダペスト宣言を採択して、域内産業の競争力強化方針を打ち出した。その中に、企業報告関連法令の明瞭化・スリム化・合理化と企業(とくに中小企業)の規制対応コスト削減が含まれていた。同宣言では、これを「スリム化革命」と称しており、その達成に向けて、企業の開示負担を2025年前半に25%削減するよう欧州委員会に要請した(Council, 2024b)。

 

 欧州委員会は、ブダペスト宣言に応えて、2025年1月に今後5年間のEU政策に関する戦略的な競争力強化指針を公表した。競争力コンバス(Competitiveness Compass)である。この指針では、法規制による開示負担を、すべての会社で25%、中小企業は35%、今後5年間で削減する数値目標を設定しており、将来的にはこれらの削減目標を開示負担以外の規制対応コストにも適用することを明言した(EC, 2025b)。また、サステナブル・ファイナンスの促進に向けて、投資家の情報ニーズを充足しながらも、持続可能経済への移行に必要な投資資金が中小企業に流れるのを妨げず、同時に、小さな会社の開示負担が相対的に軽減されるように、開示規制を大幅緩和する方針を打ち出した。とくに、小さな企業がサプライチェーンの中で大企業から過剰な情報要求を受ける「トリクルダウン効果(trickle-down effect)」を軽減すること、さらには、大規模企業の中でも比較的小規模な企業については、「小規模中堅企業(small mid-caps)」区分を新設して、開示負担の軽減から恩恵を受けられるようにすることを表明した。

 

 そして、この1ヶ月後に今回のオムニバスパッケージが公表された。

 

 

 

その(2)へ続きます(後日公開)。 

 

1:

詳細は当初17業種73名の企業経営者が宣言に署名したが、その後支持が広がり、2025年4月30日現在では25業種1,315組織が署名している(https://antwerp-declaration.eu/)。

2:

The Antwerp Declaration for a European Industrial Deal, 1.を参照されたい。

[引用文献]

  • Burgier, Camille (2025), The evolution of EU-China trade in the automotive sector.
  • Draghi, Mario et al., (2024), The future of European competitiveness, Part A.
  • European Automobile Manufacturers’ Association (ACEA) (2024), EU-China Vehicle trade, fact sheet (June 2024).
  • European Central Bank (ECB) (2024), Economic Bulletin, Issue 6 / 2024.
  • European Commission (EC) (2025a), An EU Compass to regain competitiveness and secure sustainable prosperity, press release.
  • European Commission (EC) (2025b), A Competitiveness Compass for the EU, COM(2025) 30 final.
  • European Council (Council) (2024a), Strategic Agenda 2024-2029.
  • European Council (Council) (2024b), Budapest Declaration on the New European Competitiveness Deal.
  • Letta, Enrico (2024), Much more than a market.