移行計画はどのように開示するのか

その(2)-

 

(本稿はコラム41 の続きです)

 

上智大学名誉教授

上妻 義直

 

3. 移行計画に必要な情報要素

 

 移行計画は近い将来に企業の標準的なサステナビリティ情報になる可能性が高い。その場合、移行計画をどう構成すれば、一定の品質を確保できるのだろうか。

 

 移行計画は、企業が気候目標を達成するための行動計画なので、気候目標とそこへ至るための具体的なGHG排出量削減プロセスは中核的な情報要素である。

 

 企業の気候目標は、自社ビジネスに付帯して排出されるGHGの削減目標であるが、所在する国家、地域、国際社会の気候目標と乖離すれば、移行計画自体に大義がなくなる。そのため、自社目標と2050年ネットゼロ目標やパリ協定準拠の1.5℃制約目標との整合性は、あらかじめ確認して示す必要がある。また、目標達成期限が2050年ならば、2030年のような中間目標(milestone)もいくつか設定すべきだろう。

 

 行動計画は、策定時点の炭素リスクが明確でないと、具体的な削減策を立案できない。ビジネスに起因するGHG排出量(スコープ1・2・3排出量)は算定・開示が不可欠であり、その際に、炭素集約的資産・製品の将来的なGHG排出量(カーボンロックイン状態の潜在的排出量)も含めるべきである。また、行動計画の実現可能性テストにはシナリオ分析が必須となり、そこから導き出される気候リスク・機会も開示しなければならない。

 

 バリューチェーン(VC)の行動計画を説明するには、VCエンゲージメントの状況にも言及する必要がある。さらに、脱炭素社会に適合的なビジネスモデルへの変更(たとえば、低炭素製品・サービスの開発状況、増収率等)も重要な情報要素である。

 

 移行計画の信頼性を向上させる上で、計画実行に不可欠な資源配分も開示が望ましい。たとえば、移行計画と整合的な財務計画(目標達成に必要な収益、設備投資、営業費等)や、移行計画の継続的な実行を支えるガバナンス体制、監督メカニズム、経営体制は、移行計画の合理性・妥当性を検証するのに欠かせない。

 

 企業が実際に移行計画を策定・開示する場合は、それぞれの状況に応じて、適切な情報要素を選択することになる。その際には「社会的に合意された報告基準」を適用するのが一般的な企業報告慣行であり、その候補となるのがISSBの気候基準(IFRS S2)である。

 

 しかし、IFRS S2を含むIFRSサステナビリティ開示基準は各国の法律で適用を義務付けなければ拘束力を発揮できず、EUや米国が独自の法規制を行っている現状では、発行されたばかりのIFRS S2が「社会的に合意された報告基準」として認められるまでに相当の年月が必要になるだろう。そのため、実務においては、様々な設定主体による基準・ガイダンス等が、企業の裁量で選択され、利用されている状況にある。

 

 たとえば、IFRS S2以外にも、EUの気候報告基準案(ESRS E1案)、TCFDのガイダンス文書、英国・TPTの開示フレームワーク案、GFANZのガイダンス文書、CDPの気候変動質問票、テクニカルノート、CA100+の"Net Zero Company Benchmark"、米国・証券取引委員会(SEC)の気候情報開示案、英国・CBIの気候ボンド基準等、多くの基準案・ガイダンスが無秩序に乱立している。

 

 そこで、本稿では、日本企業の実務に影響を与える可能性が高い基準・ガイダンスを参照して、標準的な移行計画の情報要素を考察してみたい。まずは、気候情報の基本的な開示枠組みであるTCFDのガイダンス文書(TCFD, 2021)、さらに、制度的な報告基準であるISSBのIFRS S2 (ISSB, 2023a; ISSB, 2023b)とEUのESRS E1案(EC, 2023)、それに実務的な影響力が強いCDPのテクニカルノート(CDP, 2023b)である。それらの移行計画に関する情報をTCFD勧告の4カテゴリーで整理すれば次のようになる29

 

 

(1) ガバナンス

 TCFDは、移行計画・気候目標に関する、取締役会の1)承認、2)監督、3)経営陣の実行責任、4)インセンティブ制度、5)取締役会・経営陣への結果報告、6)定期的な見直し、7)計画進捗状況の外部報告、8)外部報告への第三者保証をあげている。

 

 ESRS E1案では、インセンティブ制度として気候目標と役員報酬を連動させる場合、役員報酬に占める連動部分の割合も開示しなければならない。

 

 また、取締役会の監督業務について、IFRS S2とCDPは、監督能力(専門性やスキル)をどのように確保するのかの説明も求めている。

 

(2) 戦略

 TCFDは、1)全社的な戦略との整合性、2)行動計画、3)自社目標と国際的に合意された目標(1.5℃制約等)との整合性、4)移行計画の前提条件 (財務計画との整合性が必要)、5)優先的なビジネス機会の最大化策、6)短・中期の戦術的な排出源削減策、7)財務計画(脱炭素化戦略に必要な設備投資、営業費等)、8)シナリオ分析、9)脱炭素社会への移行がビジネス、戦略、財務計画に与える影響、10)ビジネス、戦略の計画的な変更をあげている。

 

 IFRS S2では、脱炭素社会への移行がビジネスや戦略等に与える影響について、さらに詳細な情報開示を求めており、重大な気候関連のリスク・機会の説明、当該リスク・機会がビジネスモデル、VC、戦略、意思決定、当期および将来(短・中・長期)の財務諸表に与える影響、気候関連の変動、新事態、不確実性に対する戦略やビジネスモデルの気候耐性(climate resilience)を開示しなければならない。

 

 IFRS S2は、移行計画の前提条件として、移行計画の策定時に用いた仮定(assumption)30だけでなく、移行計画を実行する上で拠りどころとなる依存(dependencies)も開示を求めている。この場合の依存とは、移行計画を実行する上で不可欠な要因や条件のことであり、IFRS S2の「結論の根拠(ISSB, 2023b)」では、「GHG削減目標の達成に必要な排出除去技術」や「移行計画の実行に最低限必要な資源の利用可能性」が例示されている。

 

 また、自社目標が整合すべき国際的目標として、ESRS E1案は、パリ協定準拠の1.5℃制約と2050年気候ニュートラルを併記するが、IFRS S2では、自社目標が特定の国際的目標と整合することを求めておらず、自社目標は「気候変動に関する最新の国際的合意」と「その国際的合意から派生した自国の約束31」をどのように考慮したか(informed)を開示させる。それによって、自社目標が国際的合意から乖離しているか否か、また、乖離する場合は、その理由を読者が理解しやすくなるという(ISSB, 2023b)。

 

 ただし、自社目標が国際的合意(自国の約束を含む)をどのように考慮したかを開示する場合、パリ協定に代わる新協定が締約されるまでは、GHG削減目標だけでなく、パリ協定の他の目的についても言及しなければならない(ISSB, 2023b)。

 

 行動計画については、IFRS S2が、気候変動への適応・緩和行動を、直接的行動(生産プロセスの変更、労働力調整、原材料・製品仕様の変更、省エネ手法の導入等)と間接的行動(顧客やサプライチェーンでの協働等)に区分して説明するよう求めており、CDPはVCエンゲージメントや低炭素製品の増収率を記載事項にしている。

 

(3) リスクマネジメント

 TCFDは、1)移行リスク、2)移行計画を実行する際の不確実性・課題をあげている。

 

(4) 指標・目標

 TCFDは、1)現在のGHG排出量(実績値)、計画進捗度の管理指標(行動指標、財務指標)、2)定性的・定量的な気候目標(GHGの種類別、スコープ別、科学的根拠に基づく必要あり)、気候目標の達成期限をあげている。

 

 ESRS E1案では、現在のGHG排出量算定に際して、主要資産・製品のカーボンロックイン評価も求めており、当該カーボンロックインが気候目標の達成に障害となる程度や炭素集約的資産・製品の削減計画についても説明する。

 

 また、CDPでは、GHG排出量(スコープ1・2・3排出量)の第三者保証も必要になる。

 

 

 実際にサステナビリティ報告を作成する場合、これらの情報は報告書全体に散在するのが普通である。しかし、広範囲の情報要素から構成される移行計画を読者に理解しやすくするためには、独立した区分にまとめて開示するのが望ましい。他の区分に記載された情報にリンクを貼るなどして、重複記載を避けながらも、なるべく一つの区分に情報をまとめる工夫が必要である。

 

29:

CDPの移行計画では、ここで示した情報要素以外に、政策エンゲージメント(立法府への直接的・間接的なロビー活動等)の状況についても開示を求めている。

30:

IFRS S2は、仮定の例として、予想される法的規制やVCにおける企業の計画実行力をあげている(ISSB, 2023b)。

31:

パリ協定の場合であれば、「自国が決定する貢献(NDCs)」が該当する(ISSB, 2023b)。

 

 

[引用文献]

  • CDP (2023b), CDP Technical Note: Reporting on Climate Transition Plans, CDP Climate Change Questionnaire.
  • European Commission (EC) (2023), [Draft]Commission Delegated Regulation (EU) supplementing Directive 2013/34/EU of the European Parliament and of the Council as regards sustainability reporting standards.
  • ISSB (2023a), IFRS S2 Climate-related Disclosures.
  • ISSB (2023b), Basis for Conclusions on IFRS S2 Climate-related Disclosure.
  • TCFD (2021), Guidance on Metrics, Targets, and Transition Plans.