ESG投資に向けた新しい会計基準の胎動

 

一般社団法人サステナビリティ情報審査協会

(前)理事・副会長 寺田 良二(公認会計士)

 

ESG投資に対応するという具体的な目的を掲げ、新しい国際的な会計プロジェクトである「Value Balancing Alliance(VBA)」がスタートしました。

 

ESG投資とはいえ、投資判断の中心となる情報は財務諸表です。しかし、現行の財務諸表においては、温暖化をはじめとするサステナビリティの要素は、それらが引当金や減損会計、資産除去債務といった会計基準に合致しない限り反映されません。

 

こうした会計基準の適用は、計上すべき金額が確実に算定できる場合に限られ、もし算定できない時は定性的な注記が行われることもありますが、企業はネガティブな開示を極力回避したいため、決算では利益が出ていたのにリスクの顕在化によって突然苦境に陥るというのはありがちな話です。

 

極論すれば、今の財務諸表では、その企業が抱えている温暖化や人権問題に関連するコストやリスクはほとんどわかりません。こうした状況に対して、言わば苦肉の策として出てきたのが統合報告ですが、もし、財務諸表のクライテリアである会計基準が環境や社会要素を取り込めたとしたらどうでしょう。

 

この、一見突拍子もない取組は、実は前世紀から始まっていて、“社会会計”と呼ばれた時代から、あの環境会計も含めて様々なものが存在し、“外部性”を財務諸表に取り込もうとする発想はすべて同じです。

(参考)http://adnet.nikkei.co.jp/a/csr/pdf/enquiry/enquiry_csrk_g04.pdf

 

VBAも同じ発想ですが、この種の取組は、実際のキャッシュフローとの関係を明らかにできないため、一時的に注目されても広く認知されることはありませんでした。しかし、これまでとは社会の問題意識は一変しており、関係者の受け止め方もずいぶん違ってくるのではないかと思います。

 

 

(1)Value Balancing Alliance(VBA)の概要

 

ESG投資のための新しい会計基準の策定を目指すVBAは、独フランクフルトに設立された非営利組織で、このプロジェクトに参加する企業は、以下の8社です。

 

BASF(独)、ボッシュ(独)、ドイツ銀行(独)、ラファージュホルシム(スイス)、ノバルティス(スイス)、フィリップモリスインターナショナル(米)、SAP(独)、SKグループ(韓国)

 

VBAは、4大アカウンティングファームによるプロボノ参加やOECD等の協力を得て、2022年8月にも、環境・社会影響を企業間で比較できるようにする新たな会計基準の導入を目指しています。

 

 

(2)VBAの基礎となる考え方

 

VBAをリードするCEOの考え方をブログからまとめてみました。多少なりともこれらの考え方が新しい基準案に盛り込まれることになると思われます。

 

 

企業価値を真に測定することは、会計帳簿を超えて企業活動の社会的、人間的、環境的影響のバランスをとることである。企業の会計システムに 環境や社会的目標を追加し、これらを貨幣的に評価することにより、財務諸表の一貫性の中で真の企業価値を測定することが可能となる。

 

新しい会計基準の基礎となる評価の概念は、「人間の幸福への影響」を尺度とする。それによって、これまで単なるコストと捉えられていたものが新たな価値を生むプラスのドライバーとなる。なお、「人間の幸福への影響」は現地条件によって大きく異なる。 

 

VBAの考える「成長」は、財務よりはるかに広範であり「人間の幸福」に関連するため、量的よりも質的なものとして捉える必要がある。

 

VBAが新しい会計基準を開発する目的は、経営者、投資家、政治家等の意思決定権者が、より良い未来のためにビジネスパフォーマンスをより総合的に評価できるよう彼らの意思決定を改善することである。

 

①で述べている環境や社会的影響を貨幣評価するというのは、これまでの取組でもよく見られた手法ですが、よりカギとなるのが、②で述べている企業価値の尺度を「利益」ではなく「人間の幸福への影響」としていることです。すぐには納得できないかもしれませんが、これまで株主のために利益を計算してきた財務諸表は、これによって新しい基準は従来とは全く異質なものになるはずです。

 

 

(3)「利益の最大化」から「価値の最適化」へ

 

これは企業にとって大きな発想転換です。お金を稼ぐために考案された企業という組織が利益以外に何を目指すのか。VBAが考える企業の価値は“人間の幸福への貢献”であり、人々というのは投資家のみならず従業員や取引先、地域住民といった多様なステークホルダーを指します。

 

では、「人間の幸福への影響」とは具体的に何をイメージすればよいのでしょう。

 

企業の利益は投資家を幸福にしますが、地域住民は企業の利益よりも良好な住環境に幸福を感じ、従業員はより良い待遇とともに良好な労働環境に幸福を求め、顧客にとって生み出す製品サービスが便利であっても安全でなければ不幸を招くことになります。

 

新しい会計基準において企業は、多様なステークホルダーの幸福を全体として最適化することによって評価されることになります。この基準に従えば、利益ももちろん重要ですが、多くの人々に迷惑をかけながら利益を上げてもそれは評価されません。考えてみれば当たり前の話ですね。

 

こうなると、企業はもはや営利最優先とは言えず、現在の株主中心のガバナンス構造といろいろ齟齬が出そうですが、折しも、米国の経営者団体「ビジネスラウンドテーブル(BRT)」が株主だけでなくステークホルダーを重視すべきだと方針転換したことを受け、VBAはBRTとも対話を開始しました。会計基準が変わっても、ガバナンスが変わらなければ企業の基本的なベクトルは変わらないわけですから、この行動はVBAの戦略にとって不可欠なのだと思います。

 

 

(4)新しい会計基準による報告書イメージ

 

VBAは、新しい基準作りに当たり、非財務事象を取り込むことによって、経済的な利益だけではない広範な会計システムを確立することをゴールとしています。そのための最終的なボトムラインを1つの指標に統合するのか、GRIが提唱するトリプルボトムラインのように複数を並立させるのかなど、現在、議論の最中にあり、可能性としては以下の2つの方向性が考えられています。

 

 ① 現在の財務諸表はそのまま残して環境・社会面を総合評価した2つめの報告書を作る。

 ② 財務を含めて1つの報告書に統合する。

 

①の形式は、これまでの取組にも類似したものがあり、特にGRIは、その基準において一覧性のある報告書こそ示していないものの開示内容はこれに近いものと考えられ、VBAがそれらとの違いをどう示すかが注目されます。

 

一方、②の形式になれば、これまでの財務諸表を大きく変容させることになります。新しい基準は「会計はお金に関するもの」という常識から離れることになるため議論を呼ぶでしょう。しかし、この点は、測定すべき企業の価値を「人間の幸福への影響」とする主張からすれば、当然の帰結なのかもしれません。

 

 

(5)新しい会計基準の具体的な内容

 

VBAの中心メンバーであるBASFの付加価値分配計算のように、新しい会計基準においては、現行基準では費用である賃金や税金を社会的な観点から再定義し、賃金は労働に対する分配、税金は社会に対する所得の再分配ととらえ、これらを源泉に行われる支出が企業を取り巻く経済環境を創出していると考える発想の転換が図られます。

(参考)https://report.basf.com/2017/en/shareholders/key-data.html

 

 

また、新しい基準は、非財務的な環境や人権等の社会影響を測定し、企業間比較を可能にすることを目指しています。これまで同種の取組では、その測定の際、貨幣をモノサシとして非財務を評価してきましたが、その結果もたらされるキャッシュフローを明らかにできなかったため、伝統的な投資家からは冷ややかに見られていました。

 

この点については、VBAも同じですが、いま急拡大しているESG投資では、業績への影響を明示できない非財務事象についてもリスクや機会として評価するため、必ずしもキャッシュフローへの影響が求められないかもしれません。TCFD勧告やEUサステナブルファイナンスの動きも手伝って、新しい会計基準の利用が大きく進む可能性がありますが、ESG投資家といっても一様ではなく、VBAが注目されるにつれ多くの議論が巻き起こるのではないかと思われます。

 

 

おわりに

 

モノが溢れる現代社会においては、必ずしもお金だけが人を幸福にするとは限らず、価値観の多様化によって企業に求められるものが大きく変化しています。それどころか、今の経済成長のやり方では気候変動や格差の問題を解決できず、むしろ助長していることに人々は気づいています。

 

この種の会計基準が認められるにはまだ多くの困難が予想されますが、状況は明らかに変わっており、VBAの展開に注目したいと思います。

 

 

(参考)VBAウェブサイト:https://www.value-balancing.com/